耶馬溪 青の洞門(大分県) [ショコラ(7歳)]
2016/08/14(Sun)
パパとママが、九州の玄関口である関門橋を渡ったのは、13日(土)18時過ぎでした。
夜、御墓参りするのもどうかと思い、その日は、そのままママの実家に向かう事としました。
その翌日(8月14日)、朝一、パパの実家の御墓参りに行きました。
*ショコラも前方の安全を確認中!
もちろん、ショコラも一緒に行きました。
パパの実家は大分県中津市で、福沢諭吉先生が幼少を過ごした所です。
パパの実家の近くに、福沢諭吉先生の旧家や中津城があり、パパが小さい頃はよく遊んだものです。
中津城は、皆さんご存知の黒田官兵衛、後の黒田如水が築城した城です。
福澤旧邸や中津城の写真は、昨年夏に撮った写真がどこかにあった様な気がしますが…。
中津と言えば、もう一つ有名なものがあります。
そうです、から揚げです。
*中津のから揚げ
と言う事で、揚げたてのから揚げを頂きました。
にんにくが効いてて、いつ食べても美味しいです。
*耶馬溪 青の洞門(大分県)
*中央左側が、禅海和尚が掘ったと言われるトンネルです。
御墓参りが終わり、ママの実家に戻る時、久々に耶馬溪を通って帰りました。
写真は、青の洞門です。上の写真の左上に、パパの手が写ってました…。
ここは、
禅海和尚が諸国遍歴の旅の途中、ここに立ち寄った時に、
断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、
ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたと
言われています。掘り抜いた時には、禅海和尚の目は見えなくなっていたそうです。
<<一部、Wikipedia参考>>
パパは学生の頃、よくサイクリングに来ました。
青の洞門の奥には、五百羅漢像を造立した羅漢寺があります。
パパは、そこでロードバイクの鍵を紛失し、大変な思いをして鍵を壊した記憶があります。
そんな事を思い出しながら、耶馬溪を通過しました。
パパとママが、九州の玄関口である関門橋を渡ったのは、13日(土)18時過ぎでした。
夜、御墓参りするのもどうかと思い、その日は、そのままママの実家に向かう事としました。
その翌日(8月14日)、朝一、パパの実家の御墓参りに行きました。
*ショコラも前方の安全を確認中!
もちろん、ショコラも一緒に行きました。
パパの実家は大分県中津市で、福沢諭吉先生が幼少を過ごした所です。
パパの実家の近くに、福沢諭吉先生の旧家や中津城があり、パパが小さい頃はよく遊んだものです。
中津城は、皆さんご存知の黒田官兵衛、後の黒田如水が築城した城です。
福澤旧邸や中津城の写真は、昨年夏に撮った写真がどこかにあった様な気がしますが…。
中津と言えば、もう一つ有名なものがあります。
そうです、から揚げです。
*中津のから揚げ
と言う事で、揚げたてのから揚げを頂きました。
にんにくが効いてて、いつ食べても美味しいです。
*耶馬溪 青の洞門(大分県)
*中央左側が、禅海和尚が掘ったと言われるトンネルです。
御墓参りが終わり、ママの実家に戻る時、久々に耶馬溪を通って帰りました。
写真は、青の洞門です。上の写真の左上に、パパの手が写ってました…。
ここは、
禅海和尚が諸国遍歴の旅の途中、ここに立ち寄った時に、
断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、
ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたと
言われています。掘り抜いた時には、禅海和尚の目は見えなくなっていたそうです。
<<一部、Wikipedia参考>>
パパは学生の頃、よくサイクリングに来ました。
青の洞門の奥には、五百羅漢像を造立した羅漢寺があります。
パパは、そこでロードバイクの鍵を紛失し、大変な思いをして鍵を壊した記憶があります。
そんな事を思い出しながら、耶馬溪を通過しました。
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